疲れが爆発したっぽい


三浦展の「下流社会」では、その定義は「金銭的に底辺に位置する」と言うより、「精神的に底辺に属すると言うこと」がより近いものとなっていて、
僕はそれを「向上心が無く、夢を持たずにその日の生活を追うことに甘んじる人」というカンジに受け取ったのだが、
今日立ち読みした「脱・下流社会」と言う本ではもっと面白く定義づけされていた。


何でも「フジテレビが好きで、贔屓の野球やサッカーのチームがあり、外食が好きでブランドに弱く、インターネットが趣味で、ワードとエクセルは使えるがパワーポイントが使えず、上流階級に憧れはないが自分はもっと能力があると思っている」人が下流社会の人間らしい。
それだと僕は2,3当てはまってしまうのだが…


でも問題はそこではなくって。
その本によると、「このままだと向こう10年内に9割の家庭が下流社会になる」らしいのだが、
それってもうその時点で「下流」って呼べないんじゃ…
そもそもその9割が何を持って下流と判断されるのかがさっぱり分からない。
年収が600万無ければ下流だとかほざく週刊誌の方がまだ分かりやすい。
そういう明確な基準さえ持たないで、ただただ僕ら庶民を煽っているとしか思えないのは精神衛生上よろしくない。。
本人が「自分は下流だ」と思うことが無い限りは所詮どうでもいいことではないのか?
なんでみんなでこんなに大騒ぎしてるのだろう。。
余裕が無いようにしか見えない。


僕だってぶっちゃけ下流層に甘んじたくは無いと思っている。
でも「下流」が他人から押し付けられて決められてしまうのならば、そこにこだわりを持たない、と言うことが真にオトナな態度であるような気がしてならない。。