読売がいまちょっとアツい。
夕刊の連載コラムで、「団塊VS団塊ジュニア」といった主旨の対談をやっているのだ。


新春企画の一環らしい。
これまで時代を創って来た団塊世代と、その時代を生き、発展させ、また或いは享受し、むさぼってきたジュニア世代の意見や忠告や懺悔が、分かりやすいのに重みを感じられるストレートな言葉で語られている。
橋爪大三郎や東浩樹のような、思想学をかじったひとならお馴染の知識人たちの話は、大衆紙にはちょっとゼイタク過ぎるほどのボリュームだ。
記者の編集後記がちょっと弱いのが珠に傷だが、新年からいい企画を立てたのに免じて許してやらぅと思う。


さて、一昨日の対談は、1stガンダムの作督である安彦良和氏と、作家の福井晴敏氏だった。
勿論主題はガンダムとアニメーションだ。
安彦氏はガンダムが新時代の一端を担っていたことを自負した上で、アニメーションの罪の部分に強く触れている。
アニメが文化のメインの位置に据えられている現代を危惧し、アニメに関わる人は自らの仕事が狂気の側面を作り出す可能性を考慮しなくてはいけないと主張する。
対して福井氏は自らを「ガンダム世代」と呼び、責任の取りかたはガンダムから教わったと言い切ったうえで、そんなに悲観的になることはない、もっと評価されてしかるべきである、というようなことを言っていた(はず。。)


どちらの意見にも納得できるところとできないところはあるわけだが、僕がいちばん共感したのは、アニメみたいないわゆるサブカルであるところの文化が表に出ているというより、メーンカルチャーと呼ばれるものが立ち消えて総じてサブカルとなってしまっている、という意見である。


アニメがメーンになることに対してはやっぱり危惧はあるし、そもそもサブカルであるから評価が低くなるなんてこと自体最近の風潮ではない気がする。
だが、「みんなサブカル」というような現代では、メーンになろうにも成りようがないだろう。
それはやっぱり文化としてどうかと思うし、文学科の人間としても少し悲しい。


安彦氏は、「今、大人になれない奴がたくさんいて、そのことにサブカルはかなり責任がある」といっているが、そもそもメーンカルチャーがない文化に大人は育たないのだ。
サブカルをやるものもやらないものにとっても、至上命題は「『現時点でサブカルと呼ばれているもの』の地位向上」ではなく、「『かつてメーンカルチャーと呼ばれていたもの』の復権」であると思う。


さきほどの安彦氏の意見に「毒と薬の両面があった」と婉曲的に答えた福井氏はきっと似たような考えを持っているのではないか、と勝手に思うことにする。


続きはお風呂上がってからにしよ〜